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『花火ーfire flowerー』

 お題:『(17) ケンカする程……』

 written by 千秋


「あっち〜」
 容赦なく降り注ぐ陽光。
 青く澄み渡った空。
 目の前に広がる海。
 砂浜を埋め尽くす人だかり。
 どこまでも夏だった。
 そして、夏の浜辺で言い合う男女が一組。
「ちょっと水原、真面目にやってよ」
「…………」
「何? そのふてくされた顔は」
「だって千絵ちゃん、ここは海だぜ?」
「ええ、確かにそうよ」
「海といえば、浜辺で戯れる小麦色の肌した美女たち! これを見逃すようじゃあ、軟派師の名折れだと思うんだけど」
「そんな自称、折って砕いて海に流しなさい」
「…………。あ〜あ、クミちゃんたちどこ行っちゃったんだろ。景の野郎はどうせ梓ちゃんとのアバンチュールを満喫してるだろうし……」
「なによ、さっきからグチグチ言って。そんなに私に泳ぎを教えるのが嫌なの?」
「いや、別にそういうわけじゃないんだけど……」
「はぁ……。だから海は嫌だって、あれだけ言ったのに……」

 夏休みも中盤。
 無事大学生となった梓たちと葛根東高校の生徒となった久美子たちは、かねてよりの約束だった「旅行」へと出かけることにした。
 当初の予定では温泉旅行となるはずであったが、時期が夏ということもあり「今回は海に出かけて、温泉はまた今度にしよう」という水原の意見が最終的には採用されたのであった。
 だが、この意見に最後まで反対する者がいた。
 海野千絵である。
 最初は「人が多い」など論理的な理由を持ち出して反発していた千絵だったが、水原や久美子がそれらをことごとく論破していくうちに、海に行きたくない本当の理由――すなわち、自らが「カナヅチ」であることを告白したのだった。
 それを知った水原は千絵に――これが彼にとって最も大きな失態だということに、後々気づくのだが――、
「じゃあ、俺が千絵ちゃんに泳ぎ教えてあげるよ。それなら海に行ってもいいだろ?」
 そう、提案した。
 こうして水原の提案を聞いた千絵は「それなら……」としぶしぶ海に行くことを了承し、晴れて全員で海への旅行へと出かけることになったのだった。

 そして再び、冒頭の場面に戻る。
「あなたは言ったわよね。私が泳げるまでつき合ってくれるって」
「たしかにそんなことも言った覚えがあるような、ないような……」
「別にいいのよ、そんなに嫌ならつき合ってくれなくても。あなたはどっか行って、ナンパでもしてきなさいよ。私は一人で泳げるようになってみせるから」
 雲行きが怪しくなってきた。
 たった一回の失言でここまで機嫌を損ねてしまうと思ってなかったのに……。とにかく謝るしかない。
「ご、ごめん千絵ちゃん! そんなつもりで言ったんじゃないって。ただちょっと冗談を言っただけで――」
「どうかしら? とっととこんなカナヅチなんてほっぽり出して、ナンパでもしてきたいんじゃないの?」
「千絵ちゃんそんなことないって。ほら、この通り謝るからさ!」
 水原は必死に両手を合わしながら頭を垂れ、こんな状況に陥った原因を自己分析してみた。
 泳ぎの練習につき合うことに、退屈しはじめているのは事実だった。
 なにせすでに練習を初めて2時間が経っているのに、千絵が泳げるようになる気配は一向にないのだ。退屈になるのもしょうがないというものだろう。だからって、退屈がだんだんと苛立ちに変わりはじめていき、さっきの失言を引き起こしたことを容認してはならない。
 まぁとにかく、以上が原因一。
 次に、このピリピリとした状況は何も自分の苛立ちのせいだけではない、ということも確認が必要だ。もう一人の相手、千絵もまた苛立っているのだ。冷静に考えてみればわかる。
 『2時間も練習しているのに全然上手くならない』
 この歴然たる事実に最も苛立っているのは他ならぬ千絵自身のはずだ。
 これが二つ目の原因。
 そして最後の三つ目の原因は、自分自身と千絵が苛立ちはじめているということに気づかずに、知らず知らずのうちに失言してしまった自分。
 二人の苛立ちと、さらにその苛立ちによって配慮が欠けた自分のせいで、この場の空気は最悪のものとなってきている。
 ――ヤバいな、こりゃ……。
 自己分析を終えたあとで出てきた結論は、あまりにもシンプルだった。
 しかしどんなに明晰な分析結果をはじき出していたとしても、出来ることといえば必死に謝ることしかなくて。
「ごめんごめんごめん! 千絵ちゃんホントに悪かった! 今度はちゃんと教えるからさ! もう一回やってみようよ。大丈夫だって! 昼までには5メートルぐらい泳げると思うから、ね?」
 ――カチン。
 水原はそのとき、何かの奇妙な――まるで地雷を踏んでしまったような――音を聞いた。
「5メートル泳げる? 本当にできると思っているの? 水に顔をつけることすら出来ない私が、本当に? ねぇ水原、無理はしないで」
「いやいや、全然無理なんかしてないよ!」
「いいの水原。私はカナヅチ。これはどうしようもない事実なの。だからこんな私のせいで、あなたがせっかくの海を楽しめないなんてことは嫌なの。だから、――私なんか放っておいて」
 千絵の放った決定的な一言は、その場を凍り付かせるのには十分な威力を持っていた。
「…………ち、え、ちゃん?」
 情けない声を出す水原に一瞥すると千絵は、すぐさま逃げるように人混みの中に消えていった。
 追いかけようと体を動かしたが、傍目にはただよろめいただけにしか見えなかったかもしれない。
「……千絵ちゃん」
 千絵が放った言葉に、水原はただただ呆然とするしかなかった。

 浜辺を早足で駆けていく。
 口からは、これ以上ないほど嫌悪に満ちた言葉が吐き出される。
「私って最低……」
 泳げないからって、他人に八つ当たりするなんて……。
 人混みを避けるように進みながら、千絵はひとり自己嫌悪に陥っていた。
 まわりの人だかりから流れ込んでくる無意味な雑音は、逆に千絵の思考を深く暗く深めていく。
 たまに自分の感情を制御できなくなることがある。
 探偵として事件を追っているときは、心も体も自分が思うままにある。だけれども、普段の生活に戻ると急に感情を持て余してしまう。――特にあいつと話しているときは。
 その理由は、なんとなくわかりはじめている。もしかしたら、ずっと前から答えはわかっているのかもしれない。しかし『それ』に答えを出すにはまだ早すぎるような気がする。いや、問題は早い遅いということではない。もっと自分の内にある、言うなれば本能とでも言うべきものが、答えを出すことを退けてやまない。なぜ、私は答えを出さないのだろうか……。
 とにかく!
 千絵は自らの思考の中で永遠に煩悶し続ける疑問を無理矢理、頭の外に追いやった。今はそんなことを考えている場合ではない。さっき自分がしでかしてしまった、最悪の失態について考えを巡らす。
 ああ……! 思い出せば思い出すほど自分が恥ずかしくなる。あれほどの愚行を雪ぐ方法なんてこの世に存在するのだろうか。
 さきほどの雪辱を果たす方法を、千絵は考えに考えた。そして最後に一つの結論に辿り着いた。
 ――こうなったら、自分ひとりで泳げるようになってやろう。
 それで水原を驚かしてやるのだ。そうすれば、さっきの失態を取り返せる。
 あまりにも子供じみた発想に思えたが、今はそれしかないようにも思える。
「よし!」
 俯いていた顔を上げ、千絵は意気揚々と海へ向かって歩き出す。
 まだ泳げないうちは浮き輪があった方がいいと思うが、荷物の置いてある所に帰れば水原に遭遇してしまう可能性がある。それだけは避けなければならない。水原と次に会うのは、自分が泳げるようになってからだ。
 このまま行こう。所詮浮き輪なんて、泳げれば必要ないのだ。

       ◆◆◆◆◆

「どこ行ったんだ、千絵ちゃん」
 水原は千絵と別れたあとしばらくたって、やっと事の重大さに気付いた。
 ――いまの千絵ちゃん一人にしちゃいけないじゃないか!
 心の中で自分を叱責しつつ、懸命に砂浜を走り回って千絵を捜す。
 ボーッと突っ立てる場合なんかじゃなかった。またやってしまったのだ、自分は。クソっ。
 だからといって今はそれを悔やんでいる場合じゃない。灼熱の陽光で熱せられた砂を、足の裏で蹴り続ける。
「なんてことだ、一日のうちに二回もミスるなんて。ホントに軟派師の名折れだな!」
 悔やんでも悔やみきれない。女性相手に――それも一番やってはいけない相手にこんなことを……!
(まったく、千絵ちゃんといるときはホント調子狂っちまう……)
 ひとり心の中でごちりつつ、自分の気持ちへと静かに疑問を投げかける。
 なんでなんだ? なんであんなことしちまったんだ? どうしてこんなことになったんだ? どうしてなんだ?
 ――千絵ちゃん相手だと、なんでこんなことしちまうんだ?
 最後に浮かんできた疑問の答えは……まぁ自分でもわからないでもない。だが今は、気にしないべきだ。
 とにかく!
 千絵ちゃんに会って、もう一回練習をやり直さなきゃならない。
 そうしなきゃなんないんだ。
 俺は泳げるようになるまで千絵ちゃんにつき合わなきゃなんない。
 それが俺にとって一番いいことなんだ。
 だから早く千絵ちゃんを見つけなきゃなんない。
 しかし先走る気持ちだけでは、人が埋め尽くす砂浜で、求める姿を見つけることは出来ない。
「千絵ちゃん、海に行くはずないし……。クソっ。景の野郎はともかく、クミちゃんたちまで全然見当たらねぇし。ホントにみんなどこ行ったんだよ!」
 一人苦々しい思いを吐き出しながら、立ち止まって辺りを見回す。
 茶髪の美女。小麦色の肌した美女。短くまとめた黒髪の美女。うざったい男ども。露出の多い水着の美女。その他もろもろ…………。
 ――あっ!
 視界の端に、見慣れた姿を捉えた。
「千絵ちゃん!」
 短い叫び声は、相手の耳にも届いたらしい。一瞬目が合ったが、すぐさま反対方向に逃げてしまった。
「なんで逃げるんだよ、畜生!」
 慌てて追いかける。まずいことに千絵の行く先はだんだんと浜辺から離れていってる。
 ――泳げないくせに、海の方に行ってどうする気なんだ!
 早く。早く捕まえないと。
 そのとき、目に映っていた千絵の姿が急に、――沈んだ。
「ち、千絵ちゃん!」
 ヤバい!
 千絵の姿の代わりに現れた暴れる海面は、人が溺れていることを激しく主張していた。
 ――本気で溺れてる……!
 早く助けないと。ってか誰か助けろよ! いや、待て。男はダメだ。汚い手で千絵ちゃんに触れることなんて許さない。
 だったら、俺が助けるしかないじゃないか!

 水原に見つかった。
 まだ全然泳げるようになっていないのに。
 それにどんな顔して会えというのか。
 とにかく……――逃げないと!
 反射的に体は水原が追ってくる方向へと走り出す。だが二、三歩も進み出さないうちに気付く、自分の体が向かう先は地獄――つまりは海であることに。
 頭の中で警報が鳴り響いている。そっちは危険だ、と。
 だけど水原から逃げるにはこっちに行くしかない。
 危険を承知で浜辺から離れていく。
 逃げなきゃ。だけど、こっちは危ない。でも、あいつから逃げる方が先決。
 鈍く動く水をもどかしく掻き分けながら、足を踏み出していく。左足。右足。もっと早く!
 瞬間。
 踏み出した左足が、捕まえるはずの底を捉えない。
 予測を外した体はそのままバランスを崩し、海面に吸い込まれていく。
 ――ああ……。
 煌めきながらゆっくり舞い上がる水滴を、千絵は確かに見た。
 しかしスローモーションの世界はすぐに終焉を迎え、千絵の体は見事に海に飲み込まれた。
 ――た、助けて! 誰か助けて!
 どこかに掴まろうと必死に手足を伸ばすが、すべて空しく水を切る。そしてより一層の混乱が訪れる。
 手足をいくら動かしても何も掴めず、目に映し出されたゆらゆらと揺れる不思議な景色は、自分がどこにいるのかも教えてくれない。
 ふと、不吉な考えが脳裏をよぎった。
 ――このまま死んでしまうのだろうか。
 まだ。まだまだ、していないことはいっぱいある。仲間と過ごす日々、まだ果たしてない夢、そして自分の想い……。
 そうだ。ここで死ぬなんて――絶対、嫌。
 瞬時にしてあらゆることが浮かんでは消え、最後に浮かび上がってきたのは生への執着心だった。
 何度も空を切った手を再び動かす。ここで終わらせはしない。諦めずに足を動かす。私はこんなところで止まらない。
 そのとき、揺らめく景色の中に「光」が差し込んだ。
 一瞬。その「光」は、自らを温かく包み込んでくれる太陽のように千絵には思えた。
 考える間もなく、無我夢中に動き回っていた手を、その太陽を掴もうと必死に伸ばす。
 何かを掴んだ。
 「光」に触れた指先は、太陽のように温かい。
 体が無限の奈落から引き上げられていく。徐々に、徐々に。
 海面から顔を出してはじめて、千絵は助かったことを実感できた。
 生きた心地を取り戻すとともに、自分を助けてくれた太陽を探そうと思って、視線を上げる。
「あーマジ危なかったね千絵ちゃん。あれ結構死ぬ寸前って感じだったし。確実に溺れていたし。俺がいなけりゃ千絵ちゃんはこの世とサヨナラしてたよ?」
 水原だった。

 やっと見つけた……。
 心の中は助けたことの徒労感より、再会の安堵の方が勝っていた。
 まさかこんな状況での再会になるとは考えもしなかったが、とにかくもう一度会うことが出来た。これは大事なことだ。
 でも、千絵は一度こっちを見て以来、顔を俯けたままだ。
 水原は焦って、すでに消えかかった言葉の続きを紡ぐ。
「もし今回の人命救助に感謝してくれているなら、情熱に満ちたキスとかが俺のリクエストなんだけど……あ、やっぱダメ? んじゃ、それなら代替案としてはアツーい抱擁とか。そこら辺がいいな〜と思うんだけど……」
 はじめは必死に捲し立てていたが、一向に千絵が顔を上げない様子を見て、喋るのを止め、心配な顔して千絵の顔を覗き込んでみる。
 すると千絵は顔を背けて、砂浜に向かって逃げ出す。
「ち、千絵ちゃん!」
「もうついてこないで!」
 慌てて声をかけたが、千絵はその言葉をはねのけた。
 ――ヤバい!
 またも焦燥がこみ上げてくる。さっきの過ちをただすためにここまで来たのに、このままではさっきと同じことになってしまう。
 千絵ちゃんを一人にしちゃいけない。
 幸運にも必死に伸ばした手は、千絵の腕を掴むことが出来た。
 引き止める言葉を、必死に探し出す。
「待ってくれ千絵ちゃん。俺さっきのこと謝りたいんだ。もう一回泳ぎの練習しよう。な?」
 千絵は歩みを止め、振り返り、視線をこちらに向けた。表情は今にも泣き出しそうな、とても脆いものだった。
 そして口から言葉を絞り出す。
「あなたは優しいわね。私には、……優しすぎるかも。……だから――今は一人にさせて」
 吐き出された言葉には、文面以上の強い拒絶が含まれていた。軟派師と呼ばれる自分さえも寄せ付けないような、絶対の拒絶が――。
 千絵はそのまま、またも自分から離れていった。
 ――今は一人にしておくべきなのか?
 心の中には、先ほどまでの強い決意が消え失せていた。そっとしておく方が彼女のためなのかもしれない。そんな思いが心を浸食しはじめた。
 陰鬱とした気持ちで、千絵の後ろ姿を眺めていた。


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